招福の赤猫

 

大分県臼杵市に鎮座する福良天満宮。
明治時代初期「あかねこ」という言葉が!

赤猫とは?

臼杵市は人口4万人ほどの城下町で、江戸~明治時代を中心に商業の町として大変栄えました。
その当時、臼杵市の商業中心地域は、町八町地区と平清水地区と言われたところです。
当時、商売熱心のあまり対立騒動が起き そこから生まれた言葉が「あかねこ」なのです。「赤猫」と呼ばれた中心人物は大塚幸兵衛と言う臼杵商人。幸兵衛は経済の達人と呼ばれ、地元の繁栄を常に心掛け、災害時などには私財を投じて救済にあたったと伝えられるほど素晴らしい人物で臼杵の
偉人であります。生まれ育ったところは臼杵市福良平清水。そして平清水の氏神様は学問厄除の神福良天満宮です。中でも平清水地区の商業の神様が福良天満宮境内にお祀りされている保食大神をまつる愛宕稲荷神社です。大塚幸兵衛も当時は信仰を絶やさなかったお稲荷様です。その崇敬心にあやかり「あかねこ」という言葉より「赤猫の招き猫」に大塚幸兵衛の魂を籠もらせ、「幸せ(福)を運ぶ赤猫」として、福良天満宮境内の一角で福を招き幸せを運ぶ社としてお祀りされています。
今では「大分の赤ねこ」「臼杵の赤ねこ」「平清水の赤ねこ」と大分県内に知られるほど有名になったこの言葉、 商業繁栄・家内安全・幸せを招く良い言葉として伝えられています。

福良天満宮と招霊赤猫社

福良天満宮境内に「赤猫社」が祀られています。御祭神は「あかねこ」と称えられた故大塚幸兵衛氏始め臼杵商人の御霊他ご縁ある稲荷神社の御神札です。赤猫社が祀られるようになったのは、「あかねこ」という言葉より、招き猫の置物を作成したところ不思議と良いことに恵まれたという方が増え、その「あかねこ」の魂を氏神様である福良天満宮に返そうと平成11年に明治時代初期に活躍された臼杵商人の魂を迎え福良天満宮境内に「招霊赤猫社」(おがたまあかねこしゃ)として建立されました。赤猫社の周りには「福猫たまりの井戸」があり、29体よりなる赤猫石も祀られています。毎年「うすき赤猫まつり」の初日に神事が行われます。